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知っトク!お金まるわかり

となりの貧乏神と福の神

2012/01/06

お正月にもてはやされる神様と言えば福の神。中でも有名なのは何と言っても七福神です。恵比寿・大黒天・毘沙門天に弁財天、福禄寿・布袋・寿老人と七人も揃うと覚えるのも大変です。正月はさぞかし忙しかったことでしょう。その一方で、まったく人気が無いのが貧乏神です。多くの人から、忌み嫌われ追い払われてしまいます。でも「神」と名前が付くからには神様なんです。西洋では悪魔になるのでしょうか。いや違いますね。ここが日本の神様の不思議なところ。貧乏を呼ぶ存在でも神様なんです。じゃあ、なんで神様なのでしょう。

昔むかし、こんなことがありました。夜も寝静まった大晦日。そろそろ年も越そうという時分。トントントンと戸をたたく音がします。「こんな夜遅くに誰だ?」主人はそうっと戸を開けました。「夜分、遅くにすみません。一晩だけ泊らせていただけないでしょうか?」そこにはきらびやかな着物姿の美しい女性が立っています。こんな夜にしかも女性・・・。泊めたいのは山々ですが、家を間違えたのではないかと思い、理由を聞くと「私は福の神です。名前は吉祥天。あなたに福を授けに来たんです」

こんな夜中に美しい女性が福を授けに来たなんて。喜んで泊めてあげようと中へ入れ、戸を閉めようとすると、誰かが無理やり戸をこじ開けようとします。「私も泊めて!」見るからにみすぼらしい醜い女性です。「お前は誰だ!」主人は早く戸を閉めたくて声を荒げました。「私は貧乏神の黒闇天(こくあんてん)よ!私が行くところは必ず災厄が起こるの!」そんなことを言われては家の中に入れるわけにはいきません。「とっと出て行け!」主人が怒鳴ると黒闇天は大声をあげて笑います。「先に入った吉祥天はわたしの姉なの。わたしと姉はいつも一緒なのよ」そう言って、先に入った吉祥天と一緒に出て行ってしまいました。

昔話とは言え、この黒闇天、どう考えても嫌がらせとしか思えません。「私が行くところは必ず災厄が起こる」なんて言われたら誰だって追い出すでしょう。もう少し入り方を考えた方が良いかもしれませんね。

同じ貧乏神でも中にはこんな貧乏神もいます。

あるところに朝から晩まで本当によく働く夫婦がいました。仲の良さは評判で、ふたりはいつも笑顔です。しかし、いくら真面目に働いても暮らしは良くならず貧乏のまま。世の中は正月だと言うのに、朝一杯の味噌汁で一日働き通します。本来なら愚痴のひとつも出そうなものですが、この夫婦はまだ働きが足りないのだと思い、もっと仕事に励んだそうです。そんな暮らしを数年もしていると少しずつお金が貯まりだしました。そんな、大晦日の夜、神棚に手を合わせていると、中からねずみのような変な生き物が落ちてきました。よく見るとボロボロの服を着た薄汚い老人のように見えます。

驚いて声も出ない二人にその老人は言いました「わしは貧乏神じゃ。お前たちが一生懸命働くから、わしはこんなに小さく元気がなくなってしまった。今夜限りでこの家を出て行くしかない・・・」そう言って薄汚い貧乏神はうなだれながら出て行こうとします。あまりに寂しい背中を見ていた女房は、思わず声をかけました。

「あのう・・・、もし良かったらご飯でも食べて行きませんか?贅沢なものはありませんが、ちょっとしたものならご用意できます」

「わしは貧乏神じゃぞ。わしがいるからお前たちは貧乏なんじゃぞ、それでもわしにご飯をくれるというのか?」

「たしかにそうかもしれませんが、貧乏神と言っても神様に違いありません。神様を追いだすなんて・・・。いつまでも居てください。貧乏でもその分、働けば良いだけですから」

そう言って夫婦は、貧乏神を神棚に戻し、ご飯やお酒をお供えしました。その後も貧乏は続きましたが、夫婦で力を合わせ、それまで以上に働いたそうです。そして十年。夫婦は、一生懸命働いて貯めたお金で新しい家を建てました。いよいよ引越しの日、神棚を移そうと主人が神棚の扉を開けると、中から眩いばかりの光が射し豪華な服を着た福々しい老人が現れたのです。

「あ、あなたは誰ですか?」貧乏神がいると思った主人は驚きのあまり聞きました。「心配するな。わしは、あのときの貧乏神じゃ。お前たちが一生懸命働いて、わしに良くしてくれたおかげで、わしは福の神になれたのじゃ。感謝しておる。これからもよろしくな」ぼってりしたお腹、白い大きな袋、福々しい笑顔。まさに絵に描いたような福の神です。二人は丁寧に神棚を新居に移し、手を合わせ深々と頭を下げました。その後も二人で力を合わせ一生懸命働き幸せに過ごしたそうです。

貧乏神って福の神になるんですね。貧乏神の威力もなんのその。貧しかったこの夫婦はマイナスエネルギーをも跳ね返す努力で福を呼んだのでしょう。ところでこの神様はいったい何をしたんでしょうか?居候以外の何物でもないのですが、それを神様として敬う姿勢が良いのかもしれません。ボロを着ていたって、見かけで判断してはいけません。「実在した」福の神もそうでした。

幕末から明治にかけて仙台に実在した「仙台四郎」をご存知でしょうか。仙台四郎が訪れる店はなぜか繁盛することから「福の神」と呼ばれ、存命中から尊ばれました。縞模様の着物で膝小僧を丸出しにし、幸せそうに微笑んでいる写真は有名です。四郎が何か特別なことをしたかと言うとそうではありません。いつも笑顔を絶やさず、ただ何となくふらっと店に訪れてはご飯をごちそうになるだけなんです。四郎を招き入れた店は、不思議にも必ず繁盛することから、どこも喜んで迎え入れたようです。四郎の評判は瞬く間に広がり、仙台市中どこへ行っても四郎に限りタダ。汽車も無賃乗車ご免。まさに超VIP扱いです。今でもその魅力は尽きず、写真や四郎の人形を飾る店が多いとか。

こう見て行くと、福の神は一見、貧乏神のような姿で現れ、人の心を試すのかもしれません。そして本当に真面目に働く心根の良い人に近づいてくるのかもしれませんね。昔話も実際の話も共通している部分が多いと思いませんか。「人は見かけによらぬもの」今年はこれで福を引き寄せましょう。

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